賢く楽しい生活のススメ

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【お箸の正しい持ち方から見る教育】について

以前、【お箸の正しい持ち方について】っていう記事を書いたんだけど

 ↓

急にアクセス数が増えたので原因を探してみたら、

ちゃちゃこさんという方のツイートで

娘さんが学校の先生から

「お箸の持ち方がおかしいとお嫁にいけんよ」

と言われたそうです。

 

それで、僕の記事が検索されたんだね。

 

つまり、

自分や子供のお箸の持ち方が正しいか不安視する人が大勢いて、

正しい持ち方を調べるために検索したんだよね。

正しい持ち方を習得したいっていうのが世間の答え

なんじゃないかな。

 

正しいお箸の持ち方はコレ。

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まぁ、それは置いといて、

ツイートに対して反響があったようで、

お箸の持ち方を気にしないっていう意見や、

言われるうちが花といった意見がありました。

 

僕も確かに、先生が仰る言葉としては不適切だと思います。

お箸の持ち方を矯正することは良いことだと思うけど、

何かをやらせるために、

一方的な意見(〜しないと結婚できない等)を押し付けることは良くないね。

ましてや子供に対して、先生という立場からね。

 

結婚に対して求めることは人様々であるし、

結婚に至るまでの過程で他にもっと重要なことがあるとも思う。

僕だって、お箸の持ち方がおかしかったけど、結婚することは出来たし、特に何か言われたことは無かった。

僕のお箸の持ち方が変だということに気付いていたとしても、それに対して嫌な言い方をする人はいなかった。

それは恵まれてること?

注意された方が良かったのかな?

答えは出せないよね。

受け取り方は人それぞれだから、答えは1つではないよね。

 

もちろん、小さい頃は親からお箸の持ち方や鉛筆の持ち方を正しく教えてもらった記憶がある。

でも、しつこく強要されることはなかった。

使えれば良いっていう考え方だったんだと思う。

これはお箸の持ち方だけには限らない。

勉強だって、僕は勉強しろって言われたことは一度もなかった。

実際、全然勉強しなかったから、中学の時は成績がかなり悪かった。

 

僕が勉強するきっかけになったのは、

地元の公立高校の見学に行った時、

率直に、校舎が汚くて通いたくないなぁって思ったんだ。

 

本当にそれだけ。

簡単な理由でしょ?(笑)

 

うちの奥さんは中高一貫の私立お嬢様学校に通ってたんだけど、

制服が可愛い!っていうのと、

学校の中にパン屋があって、

焼き立てのパンを食べられる!

っていう理由で選んだらしいです(笑)

 

要するに、

人から言われて気付くこともあるけれども、

子供も大人も、言われてやるより、

自分で考えて行動を起こさないと長続きしないよね。

っていうこと。

 

改善しようとか、こうなりたいとか、

何か目的が無いと頑張れないよね。

 

親が一生懸命教えたとしても、

それが必ず実を結ぶとは限らない。

かと言って、教えないのも違うよね。

子供が恥をかかないように、一般常識を教えるのは親の義務だ思う。

でも、それをしつこく強要することは違うんじゃないかな。

 

僕の家では、そんなに色々と躾られた記憶は無くて、

比較的自由に育ててもらったと思ってる。

 

確かに、小さい頃にもっと勉強してれば、

普通に東大に入れたよなとか思うこともあるけど、

でも、それだと今の自分は居ないし、

バラエティ番組ばっかり見たり、

遊びまくって育った感性のおかげで、

友達と仲良く出来たり、

結婚したり出来たんだと思ってる。

 

僕の場合は、

自分から進んでマナーの勉強をしたね。

フランス料理のテーブルマナーであるとか、

挨拶とか、礼儀とか、作法とか、

無理矢理教えられることではなく、

自ら学ぶことだよね。

お箸を正しく持てるように矯正しようっていうのだって、誰かに言われた訳ではなくて、

自分が勝手に始めただけだからね。

 

ずっと、自分のお箸の持ち方が変だっていうのは分かっていたし、

直したいなっていう気持ちもあった。

また、食事の際に引け目を感じることも正直あった。

むしろ、自分自身が変な持ち方をしていることを気にしないっていう人の方が、違和感がある気がする。

他人がどんな持ち方していようが、僕は一切気にしないけど、

自分自身の持ち方はずっと気になっていたんだ。

 

勉強だって、学びたいって思うからするんだよね。

勉強したくないんだったら、しなくて良いと思ってるよ。

勉強したいって思った時にするべきだと真剣に思ってる。

 

僕は高校に入った後も、そんなに勉強はしなかったんだよね。

なんか緩い生活が好きで、友達と遊んで、

部活にも入らないで、塾も行かないし、

バイトもしないっていう生活をしてた。

でも、高校時代はめっちゃ楽しかったな。

やっぱり、友達と話してる時が一番楽しかったんだな。

 

僕が勉強しようと思ったのは、

これもやっぱり、行きたい大学が見つかったんだよね。

親からは大学に行けとも言われなかったし、

どこの大学に行けとも、勿論言われなかったよ。

全てを自分一人で決めた。

 

自分で決めたことだから、最後まで頑張ろうって思えるよね。

それに、目的があって、それに向かって努力することは楽しいよね。

僕は最終的には、勉強するのが楽しくなったんだ。

新しいことを知ることも楽しかったし、

良い点数を取って、ランキングで出るのも楽しかった。

人間って、競争することと優越感に浸ることが成長に必要だって思うんだ。

勉強が楽しいと自ら感じるようになったおかげで、

僕は世間一般で一流と言われるような大学に入ることが出来た。

 

それまでの間、僕は親からは一度も勉強しろとか言われていない。

僕が勉強していない期間でさえも言われていない。

 

でも、塾に行きたいとか、予備校に行きたいっていう希望には応えてくれたし、

参考書も大量に買わせてもらった。

 

僕が行うことについては反対せずに、

サポートしてくれたんだよね。

 

ぶっちゃけ、家計が厳しいことは知ってた。

でも、1つも反対されなかった。

 

だから僕は、特待生で入れる小さい予備校に通ったし、

大学も奨学金を借りて通った。

 

これも、親からは奨学金を借りろとかは言われなかったけど、

自分から借りることを選択した。

 

親に出来ることって、

子供のやりたいことを全面的に応援することだと思う。

子供の未来を自分の好きな方向に進ませるのではなくて、

子供の希望する未来を歩ませるために、見守りながらサポートすることだと思う。

 

僕なんかは天邪鬼だから、勉強しろって言われてもやらなかったと思うけどね。

 

お箸だって、子供の頃に無理矢理矯正させられたって、直さなかったかも知れない。

 

親は、子供のことを思って、

勉強しろとか、矯正しろとか、

ああしろ、こうしろって言うんだけど、

無理矢理やらせても、良い結果は得られないでしょ。

 

例えば勉強だって、

塾に通わせてれば良いの?

子供の点数だけを見て、褒めたり叱ったりするのが教育なの?

 

僕はね、

小学校の勉強ぐらい、

親が教えなよって思ってる。

そんなことも出来ないのに、

子供には勉強しろとか、どの口が言ってんだよと。

 

共働きで時間が無い?

それも言い訳だよ。

勉強を教える時間だって子供と接する時間なんだから、

その時間を作れないっていうのは、ただの言い訳に過ぎない。

 

教えられる能力がない?

だったら、教えられるように自分も勉強しようよ。

 

そもそも、学校で勉強してるんだから、

家に帰ってきてまで勉強する必要があるのかね?と僕は思ってるけどね。

 

何が言いたいかというと、

本の学校教育がダメだっていうこと。

 

言い方が悪くなってしまって申し訳ないんだけど、

学校教育って、

なんであんなに薄い教科書に何十時間もかけんの?って。

 

勿論ね、子供によっては授業のスピードに付いていけないっていう子がいることも分かってる。

でも僕が言いたいのは、

子供の頭の良い悪いではなくて、

教え方の問題なんだ。

 

まずね、板書いる?

激しく時間の無駄じゃない?

教師が書いてる間の待ち時間に、意味は無いよね。

それに、書いて覚えるっていう勉強方法は効率が悪いから、

そんな勉強方法はやらない方が良いよ。

見て覚える!

読んで覚える!

これで時間はかなり短縮されるし、書いて覚えた気になるより、よっぽど覚える。

覚えることに費やす時間も飛躍的に増えるからね。

英単語だって、書く意味なんか全くないよね。

僕は漢字を覚える時も手では書かないで、頭の中で書いて覚えていたよ。

手で書くより早いし、書き順もちゃんと覚えられるからね。

 

あとは、勉強することの意味とか、

良い大学に入ることの意味、

就職先を選ぶことの意味っていうのを子供に理解させてあげられれば良いんじゃないかな。

全ては繋がっているんだということを。

 

僕の持論としては、

勉強が出来る人=仕事が出来る人ではない。

でも、

仕事が出来る人=勉強が出来る人であり、頭が良い人である。

 

理解できたかな?

ひっかけでも何でも無いんだけど、

勉強なんていうのは、頑張れば誰でも出来るんですよ。

勉強なんて簡単なもので、画一的なものなんです。

 

だからね、頭の良い人は勉強なんか簡単だし、

仕事も出来る。

 

勉強して、良い大学に入ることがゴールじゃないんだよ。

それまでに何を学んで、何を人に与えられる人間になるのかが重要であって、

そこには偏差値では語ることの出来ない様々な感情があって、

人を思い遣る心だとか、友達と楽しく遊べるユーモアだとか、

人間として大切なものを沢山学ぶ時間がそこにはあるんだよ。

 

冒頭のちゃちゃこさんの意見としては、

・躾やマナーは相手を不快にさせること以外は重要視していない。

・お箸の持ち方で人を判断するような人とは付き合わなくて良い。

・心の考え方みたいな見えないことを重要視している。

・挨拶する人とか姿勢が良い人とはかかわりたくない。

・他人の目線を意識している人とは意見が合わない。

・子供には叱るよりも怒りたい。

・結婚してるしてないで優劣を決めるな。

というものでした。

(この人が有名なのかどうかは全く知らないけど、こういう考え方をしている人が一定数いることも事実です。)

 

一つずつ、僕の意見を書いていくね。

・躾やマナーは相手を不快にさせること以外は重要視していない。

躾やマナーというものは、相手を不快にさせないためにあるものなので、

基本的には全てを重要視するべきです。

郷に入っては郷に従えとも言われますし、

マナーが良くて損をすることは無いと判断できるでしょう。

 

・お箸の持ち方で人を判断するような人とは付き合わなくて良い。

⇒お箸の持ち方で人を判断するような考え方をお持ちの方とは確かに付き合いたくないというのが心情だとは思いますが、

果たして、ビジネスの場においても同じことが言えるのでしょうか?

また、誰と付き合うかを決めるのは子供であり、親が決めることではないでしょう。

勿論、正しく使えるに越したことは無いため、親は正しい使い方を教える方が良いですよね。

教えた上で、子供が上手く使えないのであれば、それは子供の責任であるため、親はそれ以上に干渉する必要はありません。

 

・心の考え方みたいな見えないことを重要視している。 

⇒心の考え方を重要視することは大切ですが、

具体的に何をして、重要視しているか気になります。

子供に必要なサポートを怠らないよう努力する親が増えて欲しいと願っております。

 

・挨拶する人とか姿勢が良い人とはかかわりたくない。

挨拶をすることや、姿勢が良いことは、

褒められることであり、疎まれる筋合いはありません。

完全に妬みの部類であり、その考え方を子供に受け継がせるべきではありません。

挨拶をしても返してくれない方が会社にもいますが、頭オカシイのかなって僕は思ってます。

育ちが悪い云々言われても文句は言えないと思います。

 

・他人の目線を意識している人とは意見が合わない。

⇒他人の目線を意識し過ぎることは不要ですが、

好き勝手やって良いこととは違います。

地域社会で生きていく上で、他人を意識することは当然ですし、それが出来ないと社会不適合者として扱われるため、円滑なコミュニケーション能力は必要不可欠です。

 

・子供には叱るよりも怒りたい。

子供には叱るよりも怒りたいというのは、僕の中では最も有り得ない意見ですね。

感情的に理不尽に怒る大人の多いこと多いこと。

今まで、沢山の馬鹿な大人達を見てきました。

自分のストレス発散のために、自分より弱い立場の子供を使うなよと。

大人と言っても、ただ年を取っただけの人達が大半なので、子供と何ら変わりはありません。

世の中の大人全員が聖人君子な訳ではないので、過度な期待は禁物ですが、

せめて、自分の子供にぐらいは感情だけで怒ってはいけない。

悪いことをしたら、なんでダメだったのか教えて、次からしないように言えばいい。

それでもまた悪いことをするなら、怒鳴るんじゃなくて、叱れば良い。

淡々と説教すれば良い。

自分の思い通りにいかないから怒るって言うのは、子供と同じだと思うし、

子供と怒り合える関係って、大人として如何なものでしょうか。

 

・結婚してるしてないで優劣を決めるな。

⇒この言葉だけ取って見れば、確かに、

結婚の有無だけで人の幸福を判断するべきではないでしょう。

ただ、それは本人が決めることだし、

少なからず結婚することが幸福だという考え方がある程度浸透している世の中において、

結婚に何か害を与える事項は取り除くべきだと考えるのがベターでしょう。

それがお箸の持ち方であるか否かは判断しかねますが、可能性として捨て切れないのが現実でしょう。

 

なんでか反論ばっかりになってしまいましたが、

最初は僕も、お箸の持ち方で結婚できないなんて言う教師は論外だと思って、

ちゃちゃこさんのツイートを見ました。

ですが、なんだかちゃちゃこさんの言ってることも違うんじゃないかと思いました。

人の考え方はそれぞれなので、私が違うとは言える立場に無いのも事実ですが、

こういう考え方が世間一般に浸透してしまうのは問題があると判断しました。

 

この日本という恵まれた国において、素晴らしい文化を学べる環境があるのに、

勿体ないなと思いました。

 

僕の言ってることに共感しない人もいるでしょう。

それも当然です。

人の考え方は様々ですから。

でも、僕は間違ったことを言ってないと考えています。

だって、これは僕の尺度で僕が発言しているだけなんだから。

現時点ではね。

 

これから、僕がいろんな人と触れ合う中で、

また考え方がアップデートされるかも知れないからね。

間違っていることは直していく。

それは良いことだよね。

 

きっと、ちゃちゃこさんも反響があって、何か心境の変化があると思う。

 

大人だって完璧じゃないんだから、

そうやって、一歩ずつ前に進んでいけば良いんだよね。

 

間違えたって、人に非難されたって、

それを修正していければ問題ないよね。

 

教育問題って難しいから、正解なんて無いよね。

でも、やっぱり、自分の子供のことは、

親が一番理解してあげて欲しいよね。

 

虐待問題とか、産後鬱でとか、

最近事件が多いけど、

親も大人でも、決して完璧ではないんだよね。

でも、子供を殺してはいけないよね。

 

逃げ出したくなる気持ちも分かるけど、

だったら、せめて一人で逃げ出すべきだよね。

一旦、落ち着いて考えられる状況をなんとか作りたいよね。

 

ちょっと前に、子供たちを刺して、自分も自殺した事件があったけど、

その時にも、子供を巻き添えにしないで、一人で死ねっていう議論があったよね。

これも、勿論、人を殺してはいけないし、だったら、せめて一人で死ねよっていうことに対して、

ひきこもりニートとか、社会不適合者の支援団体が反論したんだよね。

ダウンタウンの松っちゃんが、不良品っていう表現をして問題になったけど、

言い方は悪かったけど、核心をついてると僕は思うんだ。

一定数、やっぱりおかしな人が生まれて来るっていう松っちゃんの理論と、

教育や環境によって人は変われるっていう理論で真っ向勝負したんだよね。

 

完全に結果論から言うと、

凶悪犯罪が多発してるし、

それを抑える教育が出来てないんだから、

被害者側としては、そういう危ない奴が一定数いるっていう認識になるよね。

それが事実だし、現実だと思う。

 

僕はね、ある時から、自分の生きる意味っていうことを考え始めたんだ。

なんで生きてるんだろう。

なんのために生きてるんだろう。

 

そういうことを考えてる時って、

やっぱり死にたくなってる時で、

僕の場合は病気から来る体の激痛で、

毎日眠れなくて、頭がおかしくなりそうになってたんだよね。

でも、僕には守る家族がいるし、精神力が強い方だったから、死なずに済んだけど、

様々な理由で自暴自棄になる人は多いと思う。

 

僕は、輪廻転生っていう考え方を信じていて、

魂はずっと生きてるって思ってるんだ。

 

今は、この時代で魂の修行をしているけど、

死んだら、また別の時代で魂の修行をするんだと。

きっと、今の奥さんと出逢ったのも必然で、

前世でも、来世でも、近しい間柄なんだろうなって。

親、兄弟、友達だって、何らかの縁があって一緒になった訳だから、

この人生で最後ではなくて、

また来世でも会えるかなって思ってるんだ。

 

そう考えると、親が死んで悲しくても、

少しはマシに思えない?

 

あとね、自分の自我としての人生は一度っきりだから、

楽しんだ方が良いよね。

あまり深く思い詰めないで、楽観的に生きることも大切だよね。

 

僕はいま、ぶっちゃけ、

物としてはもう、欲しい物は無いんだよね。

広過ぎる家もあるし、高級車もあるし、ブランド物も使い切れないぐらいある。

念願だったブラックカードも30歳の時に手に入れた。

 

そこで気付いたんだよね。

大切なものって、物ではないんだなって。

僕の場合は、まずは健康だね。

若くして健康を失って、

健康であることがどれだけ幸せなことなのかを痛感したね。

健康って、お金では買えないんだよ。

大切なものって、失ってから初めて気付くんだよね。

 

親だって、いつ亡くなるか分からないから、

生きているうちにしか親孝行できないでしょ。

でも、生きているうちにはその大切さに気づけなかったりするんだよね。

 

あとは、やっぱり大切なのは感情だよね。記憶とか。

結局、人間の内側に残るものって、感情であり、記憶だけじゃん。

旅行とか、遊びに行くとか、全て経験であり、

物を得るためではなく、感情を得るためのものだよね。

そこに価値を見出してるんだよね。

 

自分がどうやって生きてきて、

どういう感情を得て、

どういう影響を他の人に与えることが出来たか。

 

何か人のために出来たことはあるかな。

結局、最後はそこに行き当たるんじゃないかな。

 

僕がいま思っているのは、

いつか、動物の殺処分ゼロになるよう活動していくことかな。

これは、僕が生きているうちに課せられた使命なんじゃないかって思っている。

 

ペットショップでペットを飼うことを非難する人がいるけど、

もう産まれてきてしまっているし、売れなかったら殺処分されるから、

そこではなくて、ブリーダーが圧倒的に悪いと思う。

金儲けのために、どんどん産ませることも良くないし、

そこにいる犬達は、外の世界も知らなければ、

家族の温かさも知らないまま、ひたすら産んで死んでいくんだよね。

 

買う場所が無くなればの議論もあるけど、順序が違うかな。

産む数を減らさずに買う場所が無くなる危険もあると思っていて、

まずはブリーダーの減少(厳格な免許制度と数の制限)と、

保護された動物の引受先の拡充(一般家庭以外に専用保護施設を作りたい)、

その結果として、ペットショップの削減が良いかなと思ってる。

 

命の重さは平等だと思ってる。

 

こういう議論をすると、

牛とか豚、鶏はいいのか?とか、

イルカやクジラは?

って言う人がいるけど、これも難しい問題で、

よく言われるのは、その土地の文化に文句を言うなっていう理論で、

ちょっと横暴だけど、現実的ではあると思う。

 

やっぱり、生きるために必要な栄養素として食べているわけであって、

むやみやたらに殺している訳ではないからね。

(犬猫の殺処分は食べるために殺しているわけではないから、ダメ。)

 

でも、僕が許せないのは食べ残しや廃棄だね。

わざわざ、生きている動物を殺したのに、食べないってどういうこと?

せめて、殺したんだったら、全部食べようよ。

自分で注文しておいて食べ残しする人は本当に軽蔑しているよ。

お店の廃棄も無くしたいよね。

 

世界が物資的に豊かになる時が来るとしたら、

その時が、現実的に、動物を食べなくても良くなる時代だろうね。

理想だけでは生きていけないから仕方ないけど、

そういう時代が来ることを僕は願ってます。

 

なんだか、

お箸の持ち方から教育、

命の考え方まで及んでしまったけど、

僕の書きたいことは大体書けたかな。

 

こうやって、これを読んだ誰かが、

何かを得るきっかけになってくれたら、

僕が生きている意味もあったかなって思ってます。

 

みんな、人生楽しんでいこうぜ!